日々題

アクセスカウンタ

zoom RSS 篤姫第18回

<<   作成日時 : 2008/05/10 13:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0

前の日曜日は高速バスの中で放送を見られなかったので、今日の再放送を視聴。今回でようやく大奥に篤姫が入ることになりました。一方で肝付直五郎は小松家に養子に入ることに。どうも大河ドラマでは頼りない感じで描かれている人なのですが、養子に入ったあとの名前、小松清廉でWikipediaを見てみると、割と重要な人物なんですねぇ。
西郷隆盛が篤姫の輿入れの道具を揃えたことに関して、下級武士出身の人間でそういうことに関する目利きができるのかと先日書いたのですが、指宿の篤姫館を見た時に書いてあったことでは、彼の目利きは全てこの時に養われた、と後年語っていたそうな。相当努力したんですかね。しかし、安政大地震でほとんどの道具が失われてしまって、お付きの老女がまたより一層優れた品を集めればよいと金に糸目をつけないかのようなことを叫んでいましたが、地元鹿児島の農民支配がいかに過酷であったかを知っている人間にとってはふざけるなという感じですな。
収穫のうちの年貢の割合は、5公5民や6公4民が標準的でしたが、薩摩藩は8公2民が標準でした。これでどうやって生きていたんだろうと正直思います。薩摩藩は公称77万石ですが、実際にはもみ高で、他の藩は精米後に計っていたのに薩摩藩は籾で計って見栄を張って水増ししていたのです。実際には35万石くらいと言われます。平地の少ない鹿児島でそんなに米が取れるわけがないということですね。おかげで格式だけが高くなって実際の収入は少ないということに苦しめられることになり、おまけに他の藩では武家の次男、三男は農民身分に落とされて武士の人数が増えないように制限していたのに、薩摩藩ではそれがなかったので武士の人数が増大し、幕末には武士の人口比が他の藩の平均の倍以上になっていました。そういうわけで薩摩の農民収奪は一層酷い事になっていたわけなのです。
もっともそうやって無理にでも富を集めないと文化も発展しなかったでしょうし資本主義も発展しないのですが…。何とも複雑なことです。




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
篤姫第18回 日々題/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる