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zoom RSS 小諸と岩村田(佐久)の関係

<<   作成日時 : 2015/03/08 13:00   >>

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今日は、「空間統合の高速化がもたらす不均等発展―北陸新幹線建設と、小諸・岩村田の都市間競争を例として―」(PDFファイル)という記事を読んでいました。北陸新幹線の佐久地方通過に関してかなり詳しく検討している資料で、面白いです。

まず大前提として、小諸と岩村田(現在の佐久)との関係を古代に遡って説明しているところが面白いです。中山道と東山道の関係なんて、これまでは考えたことはなかったですね。中世における佐久地方統治との関係も説明され、なかなか面白いと思いました。信越本線が小諸経由になったのは、やはり碓氷峠経由で関東から長野県へ入る経路が選択されたからというのは正しいのでしょう。信越本線建設時には、入山峠や和美峠なども経路選択候補に挙がっていたものの、そちらを通ったとしても佐久を経由するかどうかは確実ではないですね。中山道幹線の検討時には、佐久と小諸の両方を通る計画だったとありますが。上信電鉄の延長ルートくらいであれば、佐久と小諸の両方をほぼ確実に経由することになったのでしょう。

そして、信越本線がメインの経路であった頃の小諸の中心性について、かなり詳しく説明されています。確かに小諸は結構な街という印象でした。ただ、信越本線で速達化・大量輸送化したことで、一部の機能は上田や長野に奪われたともしていますね。しかし、その後北陸新幹線(長野新幹線)が佐久を経由したことで、一気に佐久に中心性を奪われていく様子も説明されています。ただ、統計を見る限りではもともと佐久もそれなりの人口と商業の集積があるようであり、新幹線はきっかけに過ぎないのでしょう。それに、佐久平の駅前には確かに大規模な郊外型施設が立ち並ぶものの、新幹線でそうした施設にやってくる人はほとんどいないわけで、新幹線と都市開発との関連性・因果関係がいまいちよくわからないですね。たまたま同時期に大規模な再開発事業を行ったのが成功したのかもしれないし、新幹線がそれに何らかの影響を与えたのかもしれないし、そのあたりの詳しい研究を知りたいところです。小諸の衰退についても、信越本線だけの問題ではないのかもしれない、と思うところです。

北陸新幹線のルート決定に至る経緯は非常に面白いですね。政治力をうかがわせる記述が多数含まれますが、こういうあたりはなかなか表に出てこないところであり、どこまで事実なのかは少し疑わなければならないところもあります。ただ、軽井沢経由が大きな問題であったことは、仁杉氏の書いた資料でも明らかなことであり、30パーミル勾配を許容できる車両の開発と稜線を利用して上るルートの選定が、大きなポイントになったことは間違いないのでしょう。そして、軽井沢・御代田との連携に頼った誘致活動を試みた小諸の戦略ミスについては、なるほどと思わされるところでした。

全体として、この地域の交通史、北陸新幹線の線路選定経緯、小諸と岩村田の関係についてよくまとめられている資料で、こういう記事を学士論文で書けるというのは、なかなかだと思われました。

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