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zoom RSS 鉄道への夢が日本人を作った 資本主義・民主主義・ナショナリズム

<<   作成日時 : 2016/02/28 13:00   >>

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鉄道への夢が日本人を作った 資本主義・民主主義・ナショナリズム』を読みました。著者は香港の研究者で、外国語の文献を読むという苦労をしてこれだけの本を書き上げたというのは大したものだと思います。元は著者の博士論文だそうです。

日本では、鉄道への信仰に近いものが存在し、鉄道さえ引けば地元は栄えると信じてひたすら誘致活動をするが、本当に鉄道がどれだけ役に立つのかは大して気にされていない、そしてそうした鉄道への夢・信仰を通じて、日本国民というものが形成されていった、ということが基本的な論旨です。確かに、日本人の鉄道への信頼というものは、単純に鉄道の利便性や経済効果だけでは測れないくらい大きい、というのは私も感じるところです。

これを証明するために、著者はまず日本における資本主義の形成への鉄道の影響を論じています。この章は大変わかりやすく納得のいくもので、当初の日本の株式市場において鉄道株が占める割合の高さを考えれば、鉄道を通じて資本主義が形成されたというのは、かなりのところ事実でしょう。そして、最初は政府がどれだけ鉄道というものに熱意を持っているのか国民にはそれほど信頼されていなかったが、日本鉄道が初めての配当をするや、鉄道というものが利益をもたらすものであること、株式という仕組みを通じて会社の一部を所有できること、などが理解されて、株式会社という仕組みが日本に浸透していったことが解説されています。これは、なるほどこういう過程で資本主義の仕組みが日本に浸透していったのか、と思わされる内容でした。鉄道国有論と民有論の駆け引きがかなりの期間に渡って続いたことは知られていますが、これは結局のところ、株価が下がってしまった時には国有論が盛り上がり、株価が上がった時には民有論が盛り上がる、という関係で、経済的な事情を背景にしながら、自分の説は国益を考えたものなのだ、と糊塗して主張するという説明が面白いです。しかし、三菱・住友・三井系の企業などは鉄道が普及し始めるより前からかなり企業活動をしているはずですし、やや自説に都合の良い事例だけを示しているかな、という感もありました。

地方への路線網の展開を求めるに際しての陳情の話が続きます。自分の地元に鉄道を通すことが、いかに国益に貢献するのかを主張する、ということを通じて、国益という考え方、日本という国家の一部に自分があることを意識するのだ、ということを著者は主張します。そういう面があるかもしれないのですが、しかし江戸時代だって大所高所に立ったかのような主張をすることは珍しくなかったはずですし、そういう書き方に慣れていなかったわけではないように思います。この章はやや消化不良で納得感が薄いものがあります。政友会の我田引鉄の話は面白いのですけどね。

そして、皇室の行幸啓に対する奉迎の行事を通じて国家機構の考え方を浸透させられたこと、鉄道会社と神社仏閣の商業主義によって始まった初詣の行事が、結果的に国家神道の普及に加担したこと、などを主張する章が続きます。しかし、さらに納得感が薄くなり、最初からこういう方向で書こう、という著者の意思が先にあって、それに合わせて資料を見つけてきて書いた、という感じが強くなってきます。近鉄は別に国家神道のために鉄道を造ったわけではなく、伊勢がその当時大きな参詣の目的地で需要を見込めたからであり、また将来的に名古屋へ乗り入れることを目論んでいたための途中の経由地としても建設されたわけですから、このあたりも自説に都合の良いことばかりを書いています。

最初の着眼点は良かったのですが、しかしそれをきちんと説明しきれておらず、資料からの論証も不十分な感が否めませんでした。納得感があまりありません。そもそも、ここで掲げられた事情は日本以外でも同じであるはずなのに、なぜ日本でだけこれほど鉄道への信頼が高いのか、というところに関してはほとんど説明できておらず、本人も将来の課題であるかのようなことを書いています。もちろん、研究の最初はこういうものなのかもしれませんが、今後本当にこの方向で探究していって、研究者の誰もが納得して定説になるくらいに発展するか、というとかなり難しいところがあるかもしれません。解説を書いておられる先生もそんな感じを受けているように見受けられます。しかし、女性を評価するのにスリーサイズを使うことに慣れ過ぎていると、他の評価尺度があるとは思いもよらないが、実は首が長いことが評価される社会もあるのではないか、と最初に論点を出してくることが研究の着眼点として大事なのだ、というような後の解説には苦笑してしまいました。

著者は、どうやら明治学院大学の原武史先生とかなり関係があるようで、何度もその著書から引いて来たり、先生のことを書いたりしているのですけど、原先生もやはり同じく、最初に自分の主張を決めて、それに合わせた資料を集めてくる、と批判される方ですよね。その著書である『「民都」大阪対「帝都」東京』も、そういう面でかなりの批判があったと記憶しています。阪急梅田の省線との逆立体交差化工事については、自身の主張に合わせて説明を書いてしまっていて、本来の鉄道省と阪急の対立の原因についてはまったく無視されている、という批判があるのに、今回の本では著者はそのまま引いてしまっています。著者が原氏のやり方を引き継いでしまうのであれば、今後ともあまり説得力のある研究成果にはならない気がします。

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