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zoom RSS 明治期伊丹の鉄道

<<   作成日時 : 2017/07/24 13:00   >>

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伊丹市立博物館が出している史料集『明治期伊丹の鉄道』を読みました。

この本は本当に史料集で、解題として章の頭に編集者の簡単な解説が記載されている他は、ひたすらいろいろな資料の原文を掲載しています。このため、昔の文体を読みこなせる必要があります。幸い、手書きの難しい字を読みこなす苦労は必要なく、編集者の方で読んで活字にしてくれているので、現代の活字が読めるなら何とか読み解くことができます。もっとも、現代の観点からすると非常に難しい漢字が使われていたり、候文であったりして、なかなか読みづらいのも確かです。

伊丹地区の鉄道は、当初は伊丹の酒造家が酒の輸送を目的として、馬車鉄道として始まりました。川辺馬車鉄道といい、尼崎から伊丹を通り川西まで、そして伊丹で分岐して宝塚までを計画していましたが、馬車鉄道の時代には尼崎から伊丹までしか完成しませんでした。神崎(JR尼崎駅のあたり)で、官設鉄道と平面交差をしていたそうで、この部分の構造を巡って官設鉄道と様々なやり取りがあって、免許が遅れたようです。そのあたりの交渉過程の一連の文書も収録されていました。図面入りで交差部分の構造が解説されているものがあり、興味深いです。

馬車鉄道は、かなり利用はされたものの、官設鉄道との間では貨物の積み替えが必要になるためか予想したより貨物輸送には用いられず、馬車での輸送力の限界にすぐ達してしかもあまり利益が出なかったということもあって、早々に蒸気鉄道への転身を図ります。これが摂津鉄道で、この時代に川西池田までの延長が図られます。この部分の経緯も収録されていて、蒸気列車になると官設鉄道との平面交差は認められない、として、貨車を手押しで通過させ、旅客列車は南北で神崎駅へ乗り入れる線路を建設して、徒歩連絡というなかなかすごいことになっています。この経緯もわかる一連の文書が収録されていました。

そして最終的に、阪鶴鉄道が摂津鉄道を買収し、福知山までの延伸に乗り出します。結果的に、伊丹で分岐して宝塚への路線は建設されずに終わるわけです。この分岐路線が建設されていた方が、福知山方面への総延長距離は多少なりとも短縮されたでしょうし、川西池田-宝塚間はどうせのちに阪急宝塚線でカバーされるのだから、伊丹分岐路線の方が昆陽や荒巻など中間付近の住宅開発も進んでよかったのではないかと思ってしまいます。それはともかく、伊丹の酒造家がこのころになると持ち株を手放し始めているというのも面白い指摘で、馬車鉄道に毛が生えた程度のところまでは地元資本でも何とかなったが、本格的な蒸気鉄道になると大阪資本に頼らざるを得なかった、というのはなるほどと思います。

もう少し、こういう候文の読み方も勉強したいところです。私の知識不足なのか、反対の意味になっているようにしか読めない文章があり困ってしまいます。どういうところから勉強を始めたらよいものでしょうかね。そして、この時代にすでにこういう動きができるだけの人材がいるということに驚かされます。さすがに日本の資本主義経済の先進地です。こうやって産業を興し交通を整えて発展させていったのだな、ということが伝わってくるものです。

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コメント(2件)

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明治・大正時代の鉄道は地方の官僚の立身出世の道具であり、地域住民にとっての今でいう自動車であり自動車道路みたいな位置づけ(蒸気気動車の場合スピード的に馬車鉄道並でしたが)ですね。
とうこ
2017/07/25 19:39
官僚よりは政治家でしょうね…。
Tamon
2017/07/26 13:48

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