キハ82系購入

以前から発注していたKATOの改良再生産品のキハ82系が金曜日に届いて、この週末いじっていました。いや、いじろうとしながらいろいろやっているうちにあまりいじる時間がなくなってしまったというのが正しいところ。とりあえず試運転で走行の状態やライトの点灯具合を見て初期不良品でないことは確認しました。
このキハ82系は、まだ東海道・山陽・東北線くらいにしか特急が走っていなかった時代に登場して、一躍全国に特急列車網を築き上げたエポックメーキングな車両。この当時の特急は現在とは比べ物にならないくらい格が高かったので、当然のごとく食堂車は連結されていますしグリーン車も半室グリーンなんていうケチなものではなく1両丸ごとグリーン車です。昨日の記事のように特急が対向の普通列車を待避するなどということはあってはならなかったのです。そういえば特急が特急を追い抜いてはいけないという不文律もあったそうですが、これを最初に破ったのもJR九州でしたね。昼行電車特急の高速化と頻発化によって東京発/行のブルートレインを電車特急の間にうまく納めることができなくなってしまい「はやぶさ」「さくら」「富士」のような島内区間の長いブルートレインが途中で電車特急に追い抜かれることになってしまっていました。「さくら」など末期は1時間後に博多を出た電車特急に追いつかれてしまうという惨状でした。
キハ82系に話を戻すと、先に登場したキハ81系の東北線特急「はつかり」が初期不良を起こしまくって「はつかり がっかり 事故ばっかり」とメディアに叩かれてしまったので、キハ82系の初期の車両が試作車のような状態で電車・気動車関連の車両基地として新設されたばかりの向日町運転区(現在の京都総合車両所)に配属されると、連日博多や青森に向けて試運転列車を送り出して大忙しであった、とJR東日本初代副社長の山之内さんの本に書かれていました。山之内さんは向日町運転区の初代区長だったのです。何でも初期の頃は博多や青森まで1往復して帰ってくると編成中どれかのディーゼルエンジンが止まっているというのが当たり前であったとかで、補修は大変な苦労だったとか。徹底的に走り込みをして初期不良を乗り越えて安定運用されるようになったとか。
このキハ82系を用いて新設された数々の特急のうち、どの編成を模型で再現するかはかなり悩んだのですが、キハ82系の6両セットにはキシ80(食堂車)が含まれていて、仮に2セット買ってしまうと食堂車を2両連結した編成になってしまいます。もちろん単品のキハ80やキハ82を買い足して長大編成にしてもよいのですが、調べたところ往時の「白鳥」は編成中に食堂車を2両連結していたことが判明。そこで2セット購入+単品増結で「白鳥」を再現することにしました。大阪と青森を結ぶ7両編成と、大阪と上野(!)を結ぶ7両編成が併結運転されていて、直江津で分割・併合を行っていたそうです。大阪と上野を北陸経由で結ぶ特急など今では想像できないですね。そして途中で分割される編成といえど当時の特急では食堂車なしは許されなかった(そういう特急はあっても短区間だったのに対し、直江津-青森と直江津-上野は食堂車なしにするには長すぎた)ようで、上野編成、青森編成共に食堂車を連結することになり、そのスタッフの勤務体制や食材の積み込みの都合などから大阪-直江津間は編成中2箇所で同時に食堂車が営業しているという豪華体制だったそうです。その後すぐに上野編成は独立して「はくたか」(上野-金沢)になってしまったので食堂車2両連結体制は長く続かなかったようで、製品付属の説明書の編成表では「白鳥」は同じ14両でも新潟切り落とし編成の付いた食堂車1両のものになってしまっています。
さて、せっかく名車の長大編成を組むので、全車に室内灯を組み込んでみることにしました。TOMIXの車両では室内灯を組み込んだことがありますが、KATOのものは初めて。これが意外に面倒でした。TOMIXのものはほとんどワンタッチといった感じで何も考えずに取り付けをすることができる(一部の車両でプリズム板のカットが必要ですが)のに対し、KATOのものはライトユニットを簡単な加工とはいえ自分で組み立てる場所があり、また最初はプリズム板がきっちりはまらず困ってしまいました。慣れるとこういうものかと分かるのですが、通電不良が発生して組み立てなおしなどということも発生。とりあえず今日は4両しか組み立てられませんでした。何と言っても私の指は全部親指なので。
14両全部にシールを貼り付ける作業もあってまだまだです。今度の年末年始の帰省では実家に置いてあるレールをフル展開してこれをフル編成で走らせてやるつもりです。




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