戦争と鉄道の世界史

鉄道に関する複数の著作があるクリスティアン・ウォルマー氏の新しい作品、『戦争と鉄道の世界史』を読破しました。この方の著作は、イギリス国鉄民営化の失敗を描いた『折れたレール』、全世界の鉄道史を通観した『世界鉄道史---血と鉄と金の世界変革』を既に読んでいます。私の知る限り、日本語訳されたのはこれで3冊目のはずです。翻訳されていないものとしては、世界初の地下鉄メトロポリタン鉄道の盛衰を描いた"Subterranean Railway"、イギリスの鉄道史を描いた"Fire and Steam"などがあります。

さて、内容は鉄道が戦争に対して果たした役割を歴史の順に追ったものです。過去にマーチン・ファン・クレフェルト氏の『補給戦』を読みましたが、まさにこれで書かれているのと同じような話であり、実際にクレフェルト氏の著作が頻繁に参照されています。鉄道が到来するまで、軍隊というのは満足に本国からの補給を受けることはできず、食糧と馬の飼料は現地調達に頼っていたわけであり、クリミア戦争とアメリカ南北戦争の頃から鉄道が補給の役割を担うようになってきた、というあたりから説き起こされます。しかし、普仏戦争でも示されたように、自国の鉄道網を超えたところでは、手慣れていない他国の設備に混乱したり破壊された設備の復旧に手間取ったりして、思うように自国軍の進撃に追いついて鉄道で補給を続けることができない、というありさまも描かれています。これも『補給戦』で出てきた話と同じですね。

以降、普墺戦争、普仏戦争、第2次ボーア戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦、朝鮮戦争と、鉄道が戦争に果たす役割が終わるころまでを順次説明しています。鉄道は、きちんと準備しておけば戦争による破壊でもそう簡単に機能を喪失することはない、とされていますが、現代の無駄を徹底排除され精密化した鉄道システムでは無理な話でしょうね。破壊工作よりも、準備の不十分さ、計画の失敗などによりうまく輸送できなくなることの方が多いと総括されており、特に鉄道の事情を理解しない軍関係者の横車で失敗させられることが多いとしています。とにかく貨車の回転を良くすることが大事なのに、到着した貨車をそのまま倉庫代わりに使用したり、いつまでも空車を返却せずに確保していたり、といったことはどこの戦場でも見られたようです。

この本はよく書かれているのですけど、残念なのは翻訳の品質がとても低いということです。この訳者はおそらく鉄道にも軍事にもほとんど興味が無く、用語の調査も不十分だったと思われます。オットー・フォン・ビスマルクは「プロイセンの大統領」などと書かれていますが、王制の国家で大統領はおかしいと思わなかったのでしょうか。また、単線のシベリア鉄道の稼働を改善するために「ループ線を増設」とありますが、これはほぼ間違いなく原文では"passing loop"または単に"loop"だったはずで、待避線を意味します。対向列車と待ち合わせる場所を増やすことで列車本数を増加させよう、という話なのに、日本語のループ線に待避線の意味はないので、まるで勾配区間を改善しているかのような文章になっています。一般的に野戦用や土木用の可搬式軌道はドコーヴィル式と日本では呼ばれているのにデコーヴィルになっているとか、Ro-Ro船を「ロロ式船」と苦笑させられる訳にしているとか、突っ込みどころ満載です。このあたりは、現代ならウェブで検索してみるだけでわかることのはずです。1915年のクインティンスヒル事故はQuintinshillなのにクインティンシャル事故になってしまっていますし、そこに出てくる"local train"を最初はローカル列車と訳した(この方がまだよい)のに2行後では地元列車と訳しています。そして、第一次世界大戦での浸透戦術を調べそこなったのか突撃隊という訳語が出てきて、おまけにこれをナチスのSAと混同しています。

およそ訳語の選択から専門用語の調査から不適切な上に、訳された文章もこれはどうなんだというものばかりです。読んでもぱっと頭に入ってこない文章が多く、何度も読み返さざるを得ないですし、明らかに誤解させるような文章になってしまっているところがあります。第二次世界大戦のレニングラード攻防戦で、フィンランドはどちら側に立って参戦したのか、正反対に勘違いしているのではないのかと思う文章もありました。

せっかくの良著作なのに、このような訳になってしまったことは残念です。経済的な面から言って異なる人による再訳はありえないでしょうしね。原著を読むのが確実ということになってしまうのですが、さすがにそれは負担が大きいですし。どうにかならないものでしょうかね。

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