イントレピッド海上航空宇宙博物館

土曜日なので、また洗濯に出かけ、終わるとマンハッタンを歩き回りました。

まず、「世界の交差点」ことタイムズスクエアを見に行きました。さすがに観光客の波です。ニューヨークの街路は、東西方向にストリート、南北方向にアベニューが走る、ほぼ碁盤の目の構造ですが、ブロードウェイは数少ない例外で、斜めに街区を横断しています。そのブロードウェイと他の通りの交差点がタイムズスクエアです。仮装をしている人が歩き回り観光バスが乗り付け、なかなかいつもお祭り騒ぎですね。ここでホットドッグを買って食べました。

そのまま歩いてロックフェラーセンターへ。このあたり一帯に林立するビル群が総称されるようです。ビルの間の広場がスケートリンクになっており、車両が出て整備している最中でした。もう少しすると滑っている人を見ることができたのでしょうか。その隣には巨大なクリスマスツリーが飾られていました。

マンハッタンの西の端のハドソン川にまで出て行って、イントレピッド海上航空宇宙博物館を見ました。イントレピッドは、第二次世界大戦に際して建造されたエセックス級航空母艦の1隻で、退役後ニューヨークの桟橋に係留されて博物館となりました。入場料が24ドルなのは高いですけど、実際に船を浮かべたまま管理するのは大変な費用がかかるのでやむを得ないところでしょう。

現代の原子力空母に比べればずっと小さいとはいえ、さすがに正規空母は巨大です。艦内はかなりあちこち歩き回ることができるようになっていました。機関室を見てみたいものですけど、そこまでは開放されていないようです。それでも、格納庫よりさらに1つ下の甲板にある厨房や食堂などは見ることができました。一般兵員用の船室は大変狭いスペースに3段ベッドで押し込まれており、この空間で生活するのは大変ですね。どこの国もそうなのですけど。士官はだいぶ恵まれていますが、それでも複数人共同の部屋で、上級士官にならないと個室はありません。艦長は、ブリッジの近くに個室を持っていたようでさすがに恵まれています。

格納庫には、実際の航空機も飾られているのですけど、過去の戦歴を紹介するコーナーなどが中心でした。簡単な紹介映像を上映する映画室もあり、見たのですけど、第二次世界大戦に関しては日本側の取材も行っており、決してアメリカ側から一方的に見た栄光のストーリーという仕立てではなく、公平なものでした。その割にベトナム戦争については、まだ評価が難しいのかどうか知りませんが、トンキン湾事件について特に背景などを説明してはいませんでした。

飛行甲板には多くの航空機が、アメリカ海軍のものに限らず展示されており、面白いです。ただ、吹き曝しで今日は非常に寒く、コートを着ていてすら長くは滞在できませんでした。MiG-21やクフィル、エタンダールなどといった外国の航空機があるのが面白いです。MiG-21のような東側の航空機がアメリカの空母の艦上で展示されているわけですから。SR-71がある、とびっくりしたのですけど、その前身にあたるA-12だそうです。帰ってからウェブで写真を見比べましたが、簡単には区別がつかないような。舷側エレベーターを動かすデモをやっていました。

レーダー室、CICといった艦の心臓部も見ることができました。イントレピッドだと、飛行甲板のすぐ下、格納庫よりは上という位置にありました。この時代のアメリカ空母は飛行甲板が装甲化されていないので、薄い鉄板を張った木の板だけであり、脆弱だったようです。第二次世界大戦では特攻機が飛び込んで、交代要員のレーダー手が全滅したことがあったそうで、戦後の改修では格納庫より下に移されたそうです。だとすれば、この展示は第二次世界大戦当時に復元したということでしょうか。特攻機の攻撃の話を聞くと、かなり複雑な感情に襲われます。

帰りに、タイムズスクエアとグランドセントラルを結ぶ1駅間だけのシャトル列車に乗ってみました。シャトルだからかSという路線記号が付いているのですけど、アルファベットの路線記号だからBディビジョンかと思えば実はAディビジョンだという、変な路線ですね。もっとも乗客にとってはディビジョンがどちらかというのはどうでもいい話ですけど。実は、最初にニューヨークに地下鉄が開通したときの本線の一部だったのだそうですけど、その後の路線網の再編により孤立して残った区間だそうです。1駅間だけを列車が行ったり来たりしていますが、案外乗客が多く、7号線と完全並行だというのに意外なことです。他の路線への連絡線も通じており、配線が興味深いところです。

さて明日はどこへ行きましょうか。

この記事へのコメント

通りすがり
2015年12月20日 19:21
CVイントレビッド見学とはうらやましい。

A-12とSR-71の最大の相違点は機首形状(A-12は基本単座でSR-71Aは複座、どちらも練習用複座形は異なった形状)ですね。

あと、現在のイントレピッドはアングルドデッキ化やクローズドバウ化などの近代化改装や対潜支援空母化など何度も改装受けてるので、時代考証的には色々難しい問題があると思います。そもそも、それらの改修受けてないとここまで残れなかったというのもありますので…。
Tamon
2015年12月21日 07:04
A-12とSR-71にも相違はあるんですね。
そういえば格納庫は完全密閉式でしたね。
もし開放だったら寒くで長居できなかったかも。
通りすがり
2015年12月22日 09:27
A-12とSR-71だけでなく、派生型のYF-12も含めて、作戦側の要求仕様の相違から結構細々したところが変わっていて、それが空力形状の修正につながっていたりします。例えば、胴体後部のテイルコーンがA-12よりもSR-71の方が細く長く伸びていたりとか、複座の後者の方が機首両脇の前縁ストレーキ(チェイン)が大型化していたりとか。ちなみにYF-12Aになると火器管制レーダー積む都合で機首周りの形状が変わり、前縁ストレーキをカットしてそれで喪った空力安定性を補うために左右のエンジン下部後方にベントラルフィンを追加するという結構面倒くさい修正を行ってます。YF-12Aは現存1機(厳密には壊れたYF-12Aの後半と試験用のSR-71Aの前半を二個一したSR-71がありますが)なのですが、このベントラルフィンの有無で簡単に識別できます。
Tamon
2015年12月22日 11:02
むむむ、さすがに詳しいですなぁ。
通りすがり
2015年12月22日 21:39
まぁ、ちょっと前縁ストレーキいじっただけで空力系の修正が必要なあたり、凄く微妙なバランスで成り立ってた機体だということなんでしょうね、この系列は。言い替えれば、いかにマッハ3級の航空機の空力設計が難しいかという話でもあるわけですけど。ちなみに、事故で大破したYF-12Aの後半とSR-71の静態テスト用機の前半を二個一したSR-71Cはまともにまっすぐ飛ばなかった(機体結合時にわずかでもねじれが生じたらしくて、直進安定性を著しく損ねていた)そうですが。生産工場レベルでかなり手間かけてリビルドしても駄目ってあたりも、このシリーズの特殊性を示していると言えそうです。

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