新十津川で廃止とした理由

いよいよ、札沼線の北海道医療大学以北の区間の沿線市町村の廃線同意が揃い、廃止決定が待ったなしという感じになっていますね。もともと、札沼線の沼という字が示すように、札幌(厳密にはその隣の桑園)と、留萌本線の石狩沼田を結ぶ路線で、1972年(昭和47年)に赤字83線の取り組みにより新十津川-石狩沼田が廃止となりました。この時、新十津川で切られたのはなぜだろう、という話が出ていました。

実際、当時の輸送状況を見ても、ここで大きな輸送量の段差ができるという状態ではなかったんですよね。今ほど札幌都市圏の輸送に注力していなかったので、石狩当別のあたりが極端に輸送量が大きいということはないものの、やはりおおむね札幌側の輸送量が多いという状況ではありました。しかし、廃止にするとしたら浦臼とかそのあたりからではないのか、と思うところはありますね。

当時の『交通技術』誌によると、廃止区間には11駅(両端含まず、このほかに2か所の仮乗降場がある)あり、無人駅5、委託駅4となっています。つまり2駅は有人駅だったわけで、よくこんなに輸送量の少ない区間に駅員を配置していたなと思います。1日平均乗車数498人、発送貨物58トンで、旅客列車は1日5往復、貨物列車は3日1本だそうです。営業係数は1500超。まあ、これだけ見ると廃止になっても致し方なしという感じですが、これでも今の札沼線末端よりは状況が良さそうなのがなんとも。

今と沿線市町村は変わっておらず、新十津川町、雨竜町、北竜町、沼田町の4町でした。これらの4つの町の同意を取り付けて廃止したようなので、結局のところ同意工作をする対象が町単位である関係で、新十津川町の中心地新十津川で切った、ということなんでしょうかね。まあそれを言ったら、浦臼も浦臼町の中心地なのですが。

鉄道史というのもまた、必ずしも合理性だけで進んでいるわけではないので、変な偶然と運不運が作用するのですよね。

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