電鉄は聖地をめざす

電鉄は聖地をめざす』を読み終わりました。日本の電鉄網が、都市間連絡および郊外における住宅開発の2つの類型だけに分類されるものではなく、当初は社寺参詣も大きな類型であったのだ、ということを主張して書かれた本です。

もちろん、参宮鉄道のように名前からしてそのままの会社もありますし、蒸気鉄道の時代には枚挙にいとまがありません。この本で中心に取り上げているのは、いわゆるインターアーバンに属する電鉄網です。より新しい時代の流れを生み出しているかのように見える電鉄であっても、なおも社寺参詣が大きな目的であったのだということを描いています。

取り上げられているのは現在の会社名で言えば京急、京成、東急池上線、名古屋市電、阪急千里線といったあたりで、かなり具体的に事例を挙げて社寺参詣と電鉄敷設がどのように関連したのかということをまとめています。そもそも阪急宝塚線も、郊外における住宅開発や百貨店・歌劇場への多角展開を強調するために、あたかも何もなかった場所に敷いたかのように言われるが、実際には沿線には豊富な社寺や箕面の滝などの観光資源があったということにも触れています。

個人的に興味深かったのは京成関連の事例ですね。鉄道が伸びてきたことで成田山が発展し、また次の電鉄誘致につながるという流れがあります。宗吾霊堂も、鉄道とのかかわりが深いんですね。これに対して、江戸時代には成田山と並ぶほどの寺院であった芝山仁王尊は、電鉄敷設に乗り出そうとするもののうまくいかず、結果的に大きく寺勢を劣後させてしまうことになるのだそうで、鉄道の敷設には関係者の努力だけでなく運も関わるので、なんとも残念な感があります。京成と露骨に競合する路線計画だったようですが、完成していたらどうなっていたでしょうか。

詳細に出典も付してありますし、過去の寺社参詣の様子もうかがえて、面白い本でした。

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