越後の停車場

越後の停車場』を読みました。1981年に朝日新聞新潟支局編として刊行された本です。それ以前に、朝日新聞新潟版で連載されていた記事の単行本化だそうで、執筆には朝日新聞の記者も関わっているものの、大半は新潟鉄道管理局に勤めていた元職員の方によるものだそうです。

新潟県内の国鉄の駅を1つずつ取り上げながら、エピソードや歴史を書いている内容でした。といっても、小駅などは取り上げるだけのネタがなかったのか省略されているところもあります。また、どういうわけか米坂線の新潟県内の駅は含まれていませんでした。新潟周辺の貨物駅も取り上げているところは評価が高いです。

安易に鉄道忌避説で経緯を説明してしまっているところもあるのですが、刊行年次が古いだけあって、駅開業当時の様相を直接知っている高齢者の方にインタビューして、いろいろ経緯を解明しているところが非常に嬉しいところです。これは、連載記事の初掲載の頃からするともう40年以上経ってしまった今ではまったく不可能なことです。

また、一般人が考えると鉄道は旅客輸送のことばかり考えてしまいますけど、貨物輸送も非常に重要であり、刊行当時はまだ貨物扱いをしていた駅が多かったこともあって、各駅の貨物扱いに触れているのがまたありがたいところです。どんな貨物を扱っているかは、その駅近辺の産業を物語るものですし。信越本線や越後線の沿線は明治時代から石油の産出で活況を呈した地域であり、産出石油をタンク車で搬出したり、産出に必要な鋼管類を運び込んだり、といった需要がかなりあったようです。ただ刊行した頃にはほとんど枯渇して、石油関連の輸送は激減していたようですが。

後に特定地方交通線として廃止になった赤谷線について、東赤谷の終点から伸ばして、磐越西線の白崎駅(現在の三川駅)へつなぐ、という構想がかつてあったのだそうです。地元で運動していて、田中角栄のところに話にも行ったのだそうで、しかしあの角栄ですら、「橋とトンネルばかりの路線になるな」と難色を示したところに、かなり無理に押し込んでいたのだとか。一応検討してくれることになったということなのですが…。正直、このルートにどんな需要があるのか理解できないところです。沿線に大きな集落はありませんし、新発田から会津方面へ短絡できてどこまで嬉しいかというと…。知人に教えてもらったところでは、新発田藩などの参勤交代ルートだったこともあって、最近までバスも運行されていたルートではあるのだそうですが。盲腸線をとりあえず延伸して他の路線につないでしまえば、なぜか需要が大幅に増加して、廃止対象を免れるだろうという、ほとんど根拠のない発想が全国あちこちで見られましたけど、これも同類の気がします。

全体にとても面白い内容になっており、楽しめました。願わくば、40年経過した今、現代の視点で同じような本が出ないものかと思ってしまいます。

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