碓氷アプト鉄道

碓氷アプト鉄道』を読み終わりました。1988年に発行された古い本ですが、このほど古書で入手しました。

著者の方は元産経新聞の記者だったようで、執筆時点では長野に移り住んでいるそうです。碓氷峠の鉄道廃止に反対するためにこの本を書いたそうです。そのため結構感情的な廃線反対論が書かれています。もっとも本文のほとんどのところは、碓氷峠の鉄道の歴史を描いているもので、全体にわたってそういう論調だというわけではありません。記述対象をアプト鉄道に絞ったので、粘着式鉄道に置き換えられるところまでで記述が終わっています。

まるで本人が見てきたかのような記述は、いろいろ想像を膨らませて書いているのだろうと思うしかありません。しかし細かい記述にミスがあるので、どこまで信用できるのだろうと思ってしまいます。まず初期のアプト機関車のメーカーについて、蒸気機関車がエンリンゲル、電気機関車がエスソンゲンと書かれているという…。どう見ても同じ会社であり、一般的にはエスリンゲン機械工場と表記されます。手書きの字を読み間違えたのだろうかと思ってしまうような間違え方です。さらに後者については、アルゲマイネのエスソンゲン工場と書かれていて、電気機関車はしばしば電機品と車体を別会社が担当しているということをわかっていないようです。EC40については、電機品をアルゲマイネが、車体と機械類をエスリンゲンが担当したもので、アルゲマイネの方が主契約者だったようです。

そして、碓氷峠の橋梁を設計したイギリス人お雇い外国人をボーネルと書いてしまっています。外国語の日本語表記は、揺れがあっても仕方ないのですけど、この方は元の綴りはPownallなので、現代的な読みであればパウナルで、日本の鉄道史では慣行的にポーナルと読んでいます。ネルとなっているのは仕方なくても、冒頭を濁音にしてしまっているのは明らかな誤りで、おそらく原語の綴りを確認してなく、日本語の記述で半濁音なのを見落としてしまったのでしょう。

ただ、いろいろなエピソードにあふれていて面白いです。アプト式を廃止して粘着式にしようとしたときには、勾配を緩和する迂回線も検討されていたわけですが、佐久や小諸など、長野県側各地の思惑で誘致活動が行われて、結局ご破算になってしまったとか、面白いです。もちろん、従来のままの勾配で粘着式に移行したことは工学的な検討が一番大きかったのでしょうけれど。また、取り外したラックレールと不要になったED42の払い下げを受けて、吾妻線羽根尾から草津温泉へ向かう鉄道を敷設しようという構想があったのだそうで、なかなか興味深いです。国鉄側が、もうレールがボロボロだと断ったのだそうですけど。

この方は、『佐久鉄道と小海線』という本も書いていて入手済みです。これも面白そうで今から楽しみです。

この記事へのコメント

たづ
2020年08月01日 23:31
「エスリンゲン/エスソンゲル」「ボーネル」の誤記と1988年という刊行時期が多少引っかかります。この手の誤植は活版に多いからです。
新聞などの刊行物が活版から今のようなDTPへ移行したのが平成のはじめあたり、ワープロもまだ黎明期ゆえ原稿の多くはまだ手書きだったと思われます。
そのため、勿論著者の方自身の誤解・誤認識の線も排除できないものの「きちんと正しく書かれた原稿を、印刷所で読み違えて版を起こし」、校正も通ってしまってそのまま出版されてしまった、というパターンも考えられます。
ゲームの「インド人を右に」的なアレです。
Tamon
2020年08月02日 01:21
その可能性もありますけど、ボーネルの方は複数の場所で延々と同じ表記なんですよね。筆者が勘違いしているとしか思えないです。