新聞配送

『鉄道ファン』誌の12月号は荷物車の特集で、主に車両的な面で解説が行われていました。しかし、新聞輸送についてちょっとツイートしたところ、いろいろな情報が寄せられてそちらの方が面白かったので、ちょっとまとめて書いておきます。

24系を使った寝台特急には電源車としてカニ24が連結されており、ディーゼル発電機を搭載する以外のスペースは荷物車として実際に荷物積載に利用されていました。広く一般から荷物を集荷する鉄道荷物輸送は、新幹線レールゴーサービスなどを除いて国鉄末期に廃止されていましたが、寝台特急を利用した荷物輸送は残存していたわけです。その主な用途に、新聞輸送がありました。ただ、たとえば東京から九州への寝台特急で一般紙を輸送しようとしても、九州に着くころにはもう日が昇ってかなり時間が経っているわけで、それから配達しても朝刊としては役に立たない時間帯になってしまいます。それを考えると、東京で印刷したものを地方へ運ぶ必要がある業界紙などに限定して運んでいたのだろうな、と考えていたのですが、ちょうどこの『鉄道ファン』の荷物車特集で、まさに東京で印刷した業界紙などを運んでいたと明記されていました。

そのことをツイートするとあちこちから反応がありました。1990年代くらいになると、新聞の編集印刷はかなり電子化が進んでおり、記事を書いて紙面を作ると、それを電子データで送って各地の印刷工場でそれぞれ印刷するということができるようになっていました。したがって、ぎりぎりまで締め切りを伸ばせますし、大量に印刷した新聞紙をはるばるあちこちへ運ばなくてもよくなったわけです。これに対して業界紙はそのようにあちこちで印刷するほどの部数が出ないので、東京で全部刷ってあちこちに配送していたものが多く、したがって寝台特急の荷物車での輸送も業界紙が多かったわけです。

ところが、新聞編集の電子化が進む前は各地での印刷は困難だったわけです。もちろん、朝日新聞のような大手の新聞社だと東京、名古屋、大阪、福岡でそれぞれ紙面を作って印刷していたのであちこちに印刷工場があるのですけど、現代ほど細かく分割はできていなかったようなのですね。そのため、当時は汐留や梅田の荷物センターにトラックで新聞を持ち込んで、荷物列車であちこちへ輸送するということが行われていたようなのです。一般紙であっても荷物輸送をかなり広く利用していたんですね。もちろん、高速道路網が発達してくるとトラックでの直送が増えてくるのはどの分野でも同じだったようです。また寝台特急でも、大阪から岡山のように区間利用で一般紙を運んでいることは結構あった、という情報もありました。

そのほか、「きたぐに」が米原経由だったのは、名古屋で印刷した新聞を米原まで持ってきて、「きたぐに」に積載して北陸方面へ配送するためだったとか、夜行の「さんべ」が山陰本線西部を走っていた頃は、北九州で印刷した朝刊を乗せて島根県西部などに運んでいたため、名残で毎日新聞は今でも北九州版が島根県に配られるとか、いろいろ情報をもらいました。

そういうことを考えると、新聞の配送についても興味深い歴史があるわけで、きちんと調べたら本を書けるほどあるんだろうなと思ってしまいました。

この記事へのコメント