山野線跡地

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今日は新年早々、姶良郡湧水町へ山野線の跡地を見に行ってきました。山野線は、水俣と栗野を結んでいた路線で、特定地方交通線に指定されて民営化してすぐの時期に廃止されました。私は子供の頃に1度だけ乗ったことがあります。遺構が結構残っていて、あちこちで駅の跡地が記念公園になっています。

今回訪問したのはこれまでまったく知らなかったところで、以前Twitterで教えてもらったものです。栗野を出てすぐに路線はカーブを描いて、その先で川内川を渡っていました。川内川を渡る橋は撤去されてもうないのですが、そこへの取り付けとなる築堤が田んぼの中に残っていて、しかも小水路を横断するところに橋桁まで残っているというのです。この話を聞いてから長いことここを訪問することできていなかったのですが、ようやっと今日訪問できました。

Yamano_bridge_ruin.jpg場所はわかりやすく、すぐにたどり着くことができました。確かに桁が残っています。おまけに、すぐ脇(上り列車に対して進行方向右側)に、高さの違う別の橋台と橋脚が残っています。これはなかなか面白い遺構だと思います。おそらく、当初は低い方の築堤を使って川内川の橋に取り付いており、治水上の理由で堤防を高くするために橋の高さも高くするように要請されて、橋を架け直すために前後の築堤も高さを変えて造り直したのではないかと推測します。こうなると、川の反対側がどうなっているのかも興味を引くところですよね。


Yamano_bicycle_road.jpg川の反対側は、廃線跡にありがちな、サイクリングロードに転用されて残っています。写真ではわかりづらいのですけど、サイクリングロードの休憩所にするために盛り土が拡幅されている部分が、元の低い路盤のあったスペースであろうと思います。その先にブロック積みの小屋がありますが、この小屋のあるところが段になっていて、元の路盤であることをうかがわせています。

この写真の右下に石碑が写っています。早速これも碑文を改めに行きました。表には水害復旧工事記念、とあり、3面にわたって記載の碑文を読むと、昭和8年に水害があってその後の対策工事のために鉄道当局の許可を得て水路の改修工事を行った旨が記載され、昭和9年に建てられた石碑であるとありました。地元の人が何か工事をした感じに見えるので、川内川そのものの治水工事ではなさそうです。戦前のこの時期であれば、川内川の治水は内務省が管轄していたはずです。

果たして、山野線の橋の架け替えはいついかなる理由で行われたものでしょうか。こういう時は国土地理院の公開している航空写真を見るものです。1948年の航空写真では、築堤はまだ元の経路であり、1975年の航空写真では古い築堤を放棄して新しい築堤に線路が敷かれているのが見えます。また川内川の川幅も異なっているように見えます。この間で治水工事が行われて架け替えられたのではないかと推測します。戦後の建設省の河川改修の記録でも探すしかないのでしょうか。

探索を終えて、帰りは大隅横川駅に寄りました。ちょうど「はやとの風」がやってくる時間帯で撮影ができました。この列車は今度の3月改正で廃止です。キハ47の改造ですし、もういい加減使い倒したと廃車にしてしまうのかと思いきや、他所へ転用するのだそうで、まったくもって驚かされます。

しかし今日はなかなか面白いものを見られました。

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