上信電鉄事故

死傷者が出ていないせいなのかほとんど取り上げられていないのですけど、上信電鉄で脱線事故が発生したそうです。記事を見ていておおっと思ったのは、脱線したのは貨物列車であるというところ。上信電鉄は貨物営業はしていない会社なのですが。工事用の臨時列車が脱線したのか、鉄道ファンの撮影用貸切列車で貨物列車を走らせていたのか。古い電気機関車が残っていて、時折撮影目的で借り切って残っている貨車を繋いで走らせている様子を聞く会社ですし。
もともとは上信電鉄も貨物営業をしていた会社で、国鉄と貨車の受け渡しをしていました。そういう私鉄は全国各地に存在していて今でもその名残があるところがあります。例えば近鉄だと伊賀線が狭軌のままなのは伊賀上野で国鉄と接続して貨車を受け渡していたからですし、養老線も同様です。志摩線もかつては狭軌で鳥羽で国鉄から貨車を受け渡していたものの、貨物営業を廃止してすぐに標準軌に改軌して鳥羽線から直通列車が走るようになりました。伊賀線や養老線が標準軌に改軌されなかったのは、貨物列車が遅くまで残っていて、それが消えた頃にはもう改軌する積極的な投資に出られるだけの旅客輸送量が残っていなかったということなのでしょう。
これらの私鉄から貨物が消えたのは、実際のところ需要が全くなくなったからというわけではないところが多く、国鉄側の都合である例がよく見受けられます。国鉄では貨物の需要が減少するとどんどん合理化を進めていって貨物列車を運行しない路線が増え、そこから分岐していた私鉄も国鉄との貨車受け渡しができなくなって自動的に廃止に追い込まれていくというパターン。昭和59年になると国鉄は一般形貨物列車(ヤード系輸送システム)の全廃に踏み切り、これによって一気に地方私鉄から貨物列車が消えました。国鉄にとってみれば貨物輸送は巨大な設備と多くの人員を必要とする不採算部門であっても、地方私鉄にとっては貴重な収入源であったところが多いらしく、貨物輸送の廃止は打撃であったようです。しかし上信電鉄はWikipediaの記述によると貨物輸送の廃止が1994年となっていて、これは一般形貨物列車が廃止後であるので謎。早速調べてみると、下仁田からの石灰輸送やセメント輸送が残っていたようです。石灰輸送は割とまとまった収入になるので、これが廃止されたとなると痛いでしょうね。
最近、「コンテナ物語--世界を変えたのは「箱」の発明だった」という本に興味を持っています。うっかりするとポチッとクリックしてしまいそうなのですが、伊丹市立図書館に蔵書があるようなので借りてみようかと思っています。いまや物流の世界はコンテナなしでは成り立たないような状況ですが、実はこれが一般的な輸送システムとして登場したのは戦後のことのようです。それがたちまちにして物流に革命を起こして世界中の経済を一つに結び付けていくわけです。船舶輸送でも鉄道輸送でも、貨物を船倉や車内に手作業で搭載していたのが、コンテナの登場で一挙に効率化されるようになり、従来型の貨物船や一般形貨車が淘汰されていきました。今でも個別に貨物を搭載するような輸送機関はトラックくらいしか残っていないでしょう。トラックはドアツードアの輸送がメインであまり積み替えを考慮していないから(コンテナにしても結局最後は荷物の出し入れはほとんど手作業なので)そういうものが生き残っているのでしょう。それでも、フォークリフトを使ってパレットごと搭載しているところが多いようですけど。単純ですが偉大なコロンブスの卵発明だと思います。この発明がなければ今以上にトラック輸送に押されて鉄道貨物輸送は壊滅していたかもしれませんね。しかし、雑多な物資別専用貨車を多数連ねた一般形貨物列車の魅力が失われてしまったのは趣味的には残念であります。




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