鹿児島駅自由通路

3月19日に鹿児島駅の自由通路が供用開始するそうです。さらに3月27日には鹿児島駅前電停も使用を再開するそうです。

鹿児島への鉄道は、現在の肥薩線周りで先に開通したこともあって、市街地の一番北側のはずれに鹿児島市の最初の駅が造られ、鹿児島駅を名乗りました。終点だったので、その脇に機関区も設けられており、ホームも頭端式だったようです。しかしその後、さらに南へ伸ばし、後の西鹿児島駅、現在の鹿児島中央駅を通って西海岸周りの新たなルートを形成することになったので、やや西側に線路を振って無理やり通過式配線にしたような感じになっています。西鹿児島駅の周りに鹿児島運転所、鹿児島工場、鹿児島鉄道管理局などの現業施設が設けられるようになり、利用客も増えて、特急の始終着もこちらになっていったので、鹿児島駅はすっかり中央駅の座を奪われていたのですが、今に至るも駅の名前はそのままです。

この頭端式を通過式に改造したような微妙な構造のため、鹿児島市内の路面電車が通る目抜き通りは鹿児島駅の駅前広場から出発しているような設計になっている一方、通過式配線となった線路を横断する踏切(和泉屋町踏切)が脇に付けられていて、多くの自動車はその踏切から目抜き通りに出入りするのですね。そしてその入ってくる過程で、路面電車の線路も横断しなければならないわけです。したがってよく渋滞します。駅に列車が発着するときは長く閉鎖される踏切であることもあって、自由通路の必要性は高かったと言えるでしょう。自動車については、もっと南に国道10号の陸橋があるので、それで線路を渡ってから電車通りに入ってくれば、そこまでの問題はありません。

鹿児島駅は、2番線から4番線の3本の乗り場という時代がずっと続いていました。1番線は頭端式だったらしいのですが、使われているのを私は見聞きしたことがありません。5番線もかつてはあって、使われなくなったプラットホームが放置されていました。跨線橋も外してしまって、跨線橋の基礎が残されていました。そのプラットホームを撤去してこの自由通路などを整備したようです。プラットホームには、戦時中の鹿児島大空襲で駅停車中の列車に爆弾が直撃して大勢の犠牲者を出したことに対する慰霊碑があったのですが、移転されたそうです。

新しい鹿児島駅をまた見に行ってみたいものです。

この記事へのコメント